ウクライナで起こっている事態に対する自身の認識、立ち位置

今回の事態に対する「私自身の」考えや立ち位置について明らかにしておきたいと思います。(学生のみなさんへのメッセージのなかでは、敢えて触れてなかった部分を明記します)。

 

ロシアのプーチン政権によるウクライナへの武力攻撃は、明確な軍事的侵攻、侵略行為であり、いかなる観点からも容認することはできません。
あらゆる紛争には、当事者それぞれに言い分があるのが常であり、ロシアにとってNATOの勢力圏拡大に対する脅威といった言い分があることは理解できます。しかし、いかなる理由があったとしても、他国への侵攻することを許す理屈にはなりえません

まず、今、暴力によって破壊されているものは、かけがえのない人命であり、そこにあったはずの日常のくらしです。
どのような理屈をもってしても、どこかの誰かの日常が、命が、奪われることを正当化することはできません。
だめなものはダメ、ならぬものはならぬのです。
これは、数の問題ではなく、たった一人ででも許されることではないはずです。


今も現地に留まり続けているウクライナ人の同僚からのメッセージにこんな一文がありました。
   「Putin has stolen my present, my future, my life…」


この攻撃を生き延びたとしても、失うものは、建物や家屋という物質的なもの(後から再建可能なもの)ばかりでなく、その後の未来にあったかもしれない選択肢や機会をも奪われるのだということを実感させられた一文です。

加えて、ロシアによる侵攻は、私たちの「約束ごと」を破る行為です。
国際社会においては、紛争解決手段としての武力を用いないこと、他国の主権を侵害してはならないこと、力による現状変更は認められないこと、といったルールを確立してきました(端的には、国連憲章に結実されている)。
連日の報道によれば、ロシア軍は、民間人への攻撃を行っており、戦時下のルールにも違反する行為を繰り返しているようです。これは戦争犯罪に該当するはずです。
しかも、こうしたルールを自ら破っているのが、他ならぬ国連常任理事国であるロシアだという事実は重いです。
もちろん、こうした行為は、過去において他の国がやってこなかったとはいいません。
しかし、ロシアが核兵器の使用をほのめかすメッセージを発している点は、過去のルール違反と一線を画すものと考えます。

こうしたルールは、私たちがこれまでの悲惨な戦争の歴史を踏まえて、互いに傷つけ合うことなく平和という公共財を維持し続けるための知恵として考案し、守ってきたものです。ルールは社会をなり立たせるための基盤です。今回、その根幹となる決め事が破られたのだとすれば、壊されようといるのは、私たちの寄って立つ基盤そのものです。攻撃されているのは、紛争下のウクライナの人々のみならず、ロシアの一般の人々を含む私たちが生きる世界そのものである、と認識します。こうしたシステムレベルでの破壊に対して私は、(メタな意味において)自分自身が攻撃されているという感覚、いわゆる”自分ごと”としてこの問題を捉えています。

 

 

 

※上記は3月23日までの期間において、入手可能な情報を基にした判断であるため、今後、新しい情報が入ってきたり、状況が変化したり、誰かと議論をしたり、自身が学んでいったりするなかで、立場や考えが変化する可能性があることを、あらかじめおことわりしておきます。